地図番号㉟名開き地蔵
三河内通忠が三つ子山へ築城してから約100年,慶長5年(1600年)関ヶ原合戦の後,毛利氏の長州移封に伴い三つ子山城主(三河氏)も萩に行くことになりました。
城主は岩山伝熊と今後のお互いの武運長久を願って「名開きの儀」を行い,それを記念に「名開き地蔵」を建立したとされています。
岩山家は三河内通忠が三つ子山へ築城したとき家臣となりました。
そのとき三河内氏から一対の馬上太刀(大刀・小刀)の大刀を拝領しています。小刀は井西社家が拝領しています。
地図
絞り中原線1本松古墳入り口付近
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