2020年3月27日金曜日

比和町サイクルマップ

さとやま比和のサイクルマップ





比和まちなか散歩地図

比和まちなか散歩地図

答えは次の写真の下


「比和まちなか散策ラリー」の答え
①博物館駐車場(I:N) 
②みゆきばし(P:Q)        
③浄土寺前(B:J)
④かどやばし(E:L)  
⑤みどり信金前(F:G) 
⑥妙玄寺(A:D)
⑦胡橋(M:O)      
⑧円光寺前(C:H)         
⑨かじたやばし(K:R)


散歩風景地図

福田地域・森脇地域の散歩風景

吾妻山・比婆山の散歩風景(冬)


比和地域・木屋原地域・元常地域の散歩風景

三河内地域の散歩風景


古頃地域の散歩風景



2020年3月23日月曜日

赤子岩

地図番号赤子岩

  • 赤子岩というのは、次第に成長したから名付けたものと伝承されています。
  • 地元の人は、正月にこの岩を3度回り、岩に耳をあてると赤子の泣き声が聞こえるといい、赤子の泣き声が聞こえると、子を授かるとも伝えられています。


左奥のガードレールは国道423の古頃別れからの上古頃や口和方面への市道
国道から市道を進んでいると左側(川向こう)に見える。





比和っ子・比和の宝かるた

地図

古頃八幡神社

地図番号古頃八幡神社・亀井美濃守史跡

  • 延歴10年2月、豊か前国宇佐八幡宮へ参詣し神札を拝受、同年3月、今の社地に創建したといわれています。 
  • また境内には、飢饉に苦しむ村民を助け処刑されたとされる、亀井美濃守(かめいみのうのかみ)の石碑が建立されています。

古頃八幡神社


亀井美濃守史跡





比和っ子・比和の宝かるた

  • 歴史感じる古頃八幡神社の大杉だ


  • 農民を飢えから救った亀井美濃守様

地図

勝光山

地図番号勝光山

  • 庄原市比和町三河内と川北との境にある山(標高947m)です。見る方向からは山頂が双峰になっている美しい山です。
  • 川北では「勝甲山」、三河内では「祥高山」と書いていたといわれています。
  • 古名は「正香山」で、正香山祇命(マサカヤマズミノミコト)という山の神の鎮まる山であったとされています。
  • 天台宗が盛んであった頃、この山は修行僧の集まる聖地になり、その坊12に及ぶ盛況ぶりと記されていますが、やがて乱世となり廃壊し、その霊仏は近くに移されたとされています。
  • 古書のひとつに、その12坊は比和町のもので、慶雲・城福・正福・大福・栄昌(永昌)の諸寺が記され、別書には、神宮寺・浄土寺、三日市の勝光寺などもあげられているものの、真偽のほどはさだかでないとされています。
  • また、勝光山はろう石の産地です。昔は、八角石とか六角石といって名産になっていたそうですが、ろうに似た触感があるので、後に、ろう石になったといわれています。
  • ろう石とは ”滑石(かっせき)は最も軟らかい鉱物です。爪でも傷を付けることが出来ます。白色が本来の色ですが、不純物によって、淡緑色や淡紅色のものも存在します。ろうそくのような光沢と感触を持っているので、ろう石とも呼ばれています。紙が高価だった時代、子供達は道路や壁などに、ろう石で絵を描いて遊んだそうです。滑石は印鑑や化粧品の材料として利用されています。上質な西洋紙(事典などに使われている真っ白な厚紙)には滑石が混ぜられおり、本が重たい原因となっています。文字を書くのに使用された滑石が、文字を書かれる紙に利用されているとは、不思議な話です。”引用http://www.istone.org/talc.html
勝光山(右側の双峰)

三つ子山(左)から勝光山(右)山並み
三河内からの眺望




地図

栃畑の大栃木

地図番号栃畑の大栃木

県内第2位の巨木です。
とちの実はクリとまちがえるほどよく似ています。

説明写真地図追加予定

毘沙門天

地図番号毘沙門天

説明写真地図追加予定

三つ子山城跡

地図番号三つ子山城跡


  • 城跡は、南北約190m、東西約70mの城郭で、山頂部分に山城が築かれていたといわれます。
  • 城跡からは、カンナ流しにより形成された三河内のカンナ残丘の眺望が広がります
  • その三子山城主の三河内通忠、通景の二代墓塔が慶雲寺にあります。
  • 慶雲寺は、慶雲の時代にできたお寺とされており、三河内氏の発願により、三子山城主の菩提寺として、現在地へ建立されたといわれています。

農免道の石碑(奥の山が三つ子山)

小和田南にある案内
小和田南から見た三つ子山(三子山城跡は奥の左の山)


三つ子山(左)から勝光山にかけての山並み


山頂

山頂からの眺め(三河内)奥の右側の高い山は猿政山



防地から見た三つ子山(3つのピークがある)

比和っ子・比和の宝かるた


  • 伝統の刀踊りは三つ子山まつり
  • 三つ子山歴史感じる城の跡




地図



防地ため池

地図番号防地ため池

  • 三河内の耕地は,カンナ流しなどの採鉄によって崩された土で面積を増やしていきました。
  • 土地の面積に対して川も小さく水量が不足しているので地域内にたくさんのため池が作られました。
  • それでも日照りの続くと水不足となるため,昭和15年4月18日に大貯水池(防地ため池)建設竣工式が計画され,戦中戦後の苦難を乗り越えて完工しました。
防地ため池

三河内から防地ため池への道(県道58)はカンナ残丘の中を抜けている。



防地峠から三河内方面


防地ため池は大貯水池


ため池工事 昭和15年から16年の様子
地図

白鳥神社

地図番号白鳥神社


  • 白鳥神社の祭神は、日本武尊とされています。(もとはこの地の開拓に従った移住民の氏神でしょうか。) 
  • 天文年中(15321554年)には白鳥祭が行われていたとの古文書もあるようです。
  • 今より100年ばかり前3757年の樹令なりと神託ありし、欅の古社木ありしとも伝えられており、日本3社の白鳥神社とも言われています。

大ケヤキ

左奥の山(吾妻山)中央の山(福田頭)
右上の林が白鳥神社社叢

白鳥神社

鎮座地 三河内931番地

祭神

日本武尊

由緒

創立年代不詳
伝えに,日本三社の白鳥神社なりという。井西家の文書に天文年中(1540年頃)白鳥祭とある。この神社がある南地区には1本松古墳(5世紀)があり,この地域は早くから開かれていた。
明治40年神社の多くが八幡神社へと合併されたが,この神社は白鳥神社として残された。昭和21年神社本庁の統理により承認を受け神社として設立。

ケヤキの巨木

今より80年前(昭和47年の記述)ばかり前,3757年の樹齢なりと信託ありしケヤキの古社木ありしと伝う。

地図

一本松古墳

地図番号一本松古墳

  • この古墳は、6世紀の豪族のものとされ、比和町内で唯一の古墳とされています。
  • この古墳があるのは、小和田(こわだ)という地域で、小和田とは、芸藩通志には「小和田の和田は治田(はだ)の誤ならんか」とし、始めることをハダツというから新開地の意味と解されています。
  • 国郡志には古和田と記され、また古くは神戸(かんべ)と呼んだとされています。神戸は大化前代では、神社所属の部民と考えられています。
  • また、神戸は韓部(からべ)の意で、古代朝鮮半島から入植開拓した地との解釈もあるとされています。
  • それらのことから、小和田がある三河内盆地の開発は、千年も前のことであるとされています。
1本松古墳

1本松古墳を白鳥神社方面に進むとすぐにここへ出る(小和田南)
奥の左の山が三子山城跡

地図

名開き地蔵

地図番号名開き地蔵

三河内通忠が三つ子山へ築城してから約100年,慶長5年(1600年)関ヶ原合戦の後,毛利氏の長州移封に伴い三つ子山城主(三河氏)も萩に行くことになりました。
城主は岩山伝熊と今後のお互いの武運長久を願って「名開きの儀」を行い,それを記念に「名開き地蔵」を建立したとされています。

岩山家は三河内通忠が三つ子山へ築城したとき家臣となりました。
そのとき三河内氏から一対の馬上太刀(大刀・小刀)の大刀を拝領しています。小刀は井西社家が拝領しています。

地図

絞り中原線1本松古墳入り口付近