無量山 大福寺(上古頃)
- 1624年正福寺住職青巌全龍が開基,正福寺二世鉄岩正磧が開山
- 勝光山天台宗十二坊の一つを移したという説もある。
- 1715年藤井忠兵衛が復興
- 境内に僧卍山(卍⼭道⽩禅師)の碑がある。(卍⼭道⽩禅師,曹洞宗嗣法の改正に力を注ぎ曹洞宗の中興の祖と称される。京都の源光庵を開⼭。1715年入寂)
- 大福寺は戦後火災にあっているので建物は新しい。
・卍山道白大和尚誕生地
卍山禅師は、寛永13年(1636年)古頃村で出生。7歳の時、甲奴郡の龍興寺に入り童行となられ、照山大和尚に師事して「道黒」と称されました。道黒の師照山寂し続いて同寺の一線大和尚に師事し剃髪され「道白」と号されました。その後、各寺を巡り受業され、やがて曹洞宗界の傑僧として成長され、布教につとめるとともに、著述にも意を注がれたとされています。卍山禅師の生家とされる庭園に、曹洞宗関係者により、「卍山道白大和尚生誕の地」の石碑が建立されています。
比和っ子・比和の宝かるた
「お願いし いぼ とれ しびれ治まる大福寺地蔵菩薩」
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